記念館について

文士村の成り立ちと田端文士村記念館

 田端は、明治の中頃、雑木林や田畑の広がる閑静な農村でした。
しかし、上野に東京美術学校(現・東京芸術大学)が開校されると、次第に若い芸術家が住むようになりました。明治33年に小杉放庵(画家)が下宿し、36年に板谷波山(陶芸家)が田端に窯を築くと、その縁もあって、吉田三郎(彫塑家)・香取秀真(鋳金家)・山本鼎(画家・版画家)らが次々と田端に移り住みました。画家を中心に“ポプラ倶楽部”という社交の場も作られ、まさに<芸術家村>となりました。

 大正3年に芥川龍之介(小説家)が、5年に室生犀星(詩人・小説家)が転居してきました。二人を中心にやがて、萩原朔太郎(詩人)・菊池寛(小説家)・堀辰雄(小説家)・佐多稲子(小説家)らも田端に集まり、大正末から昭和にかけての田端は<文士村>としての一面を持つようにもなりました。

 彼らが残したエピソードの多くは20代から30代の歳の頃のもの。これから世に出ようと、下駄履きで行き来し、お互いを刺激しながら切磋琢磨していたのでした。田端文士村記念館は、田端で活躍した文士や芸術家の功績を次代に継承し紹介することを目的として、平成5年に設立されました。田端は昭和20年4月の大空襲を受けて壊滅し、昔の面影はありませんが、当記念館は、彼ら文士芸術家たちの作品、原稿、書簡等の資料を展示するとともに、講演会や散策会などの催しを通じて、その業績や暮らしぶりなどをご紹介しています。

文士芸術家紹介

田端文士村記念館 開館20周年記念誌

「開館20周年記念誌」
平成25年11月4日発行
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開館20周年記念誌

画 安住孝史